WBCでも大活躍の佐々木朗希選手。
2023年現在まだ21歳と若いながら大活躍。期待を込めてプロ野球界から「令和の怪物」と呼ばれています。
そんな佐々木選手ですが岩手県出身で2011年3月11日の東日本大震災を経験されています。
今回は、
- 佐々木朗希の家族構成
- 佐々木朗希の家族は野球関係者?
- 佐々木朗希の父母(ご家族)の被災状況
についてお伝えしていきます。
佐々木朗希の家族構成
佐々木朗希選手の家族構成は、父、母、兄、朗希さん、弟。
朗希さんは3人兄弟の真ん中です!
父母は野球大好きな明るい夫婦。
兄弟3人とも少年野球をやっていたそうで、賑やかで笑顔いっぱいな家庭なのは想像できますね!
佐々木朗希の家族は野球関係者?
お父さん、お母さんはプロ野球の関係者ではなく岩手県で会社勤めされていた一般の方と情報があります。
お父さんはプロ選手ではないですが野球が大好きなスポーツマンだったそう。
お兄さんは朗希さんの3歳年上で流希(りゅうき)さんという名前。
流希さんは一般の方なので情報はほぼ見つかりませんでした。
社会人2、3年目くらいの年代なので、おそらくどこかの企業にお勤めされているのではないでしょうか。
朗希さんは「お兄さんに負けたくない!」と負けず嫌いが発揮して野球にのめり込んでいったと過去のインタビューで語っています。
弟さんは朗希さんの4歳年下で2023年現在、まだ高校生。
怜希(れいき)さんという名前で高校野球で活躍中です。
メディアで「ロッテで活躍する佐々木朗希選手の弟!」と紹介されることも多く、関係者から注目を集めています。
弟さんもプロ野球選手になったらますます野球業界が盛り上がりそうですね!
佐々木朗希の父母(ご家族)の被災状況
佐々木家は震災当時、岩手県の陸前高田市に住んでいました。
震源地に近かった陸前高田市は地震・津波で甚大な被害に遭ってしまい、残念ながら父・功太さん(享年37歳)とおばあさまが亡くなってしまいました。
おじいさまは現在も行方不明者となっています…
朗希さんは当時9歳で突然のご家族との別れがすぐに理解できなかったそうです。
お父さんと幼い朗希さんがキャッチボールをしている時に、「朗希はすごいな!将来プロ野球選手になれるぞ!」と良く褒めてくたそうです。
お父さんはまだ37歳とお若かったのに、まだまだこれから子供の成長を見届けたかったと思うとどれだけ無念だったでしょうか。
もし震災が起こらなければ朗希さんがプロ野球選手になった瞬間も見届けられたのに…と思うと本当に無念でなりません。
お母さんは震災後、3人の兄弟を女手ひとつで育てています。
突然のことで絶え難い絶望と悲しみがあり、苦労も多かったとお察しします。
朗希さんは「プロ野球が出来ているのは母のおかげ」とYouTubeの動画で発言しています。
小さい頃から兄弟と協力しあい母の背中を見てきた朗希さん。
「プロになって家計を支えなきゃ!」と強い意志が、プロ野球選手としての強さになったのかもしれません。
まとめ
佐々木朗希選手は現在4人家族。
現在は家族では暮らしておらず、さいたま市のマリーンズ寮で1人暮らしをしています。
震災で家族を失い、とても辛い想いをされた佐々木朗希選手。
「地元に恩返しができるように、精一杯プロ野球を頑張りたい」と語っています。
佐々木選手の躍進が今もたくさんの被災地の人を勇気づけているのは事実。
これからもっとプロ野球界に伝説を残すであろう、佐々木朗希選手の今後の活躍に期待です。